
香奈は花屋が好きだった。
花が、ではない。
いや、花ももちろん好きなのだが、それ以上に花屋が好きだった。
高校を卒業し、すぐに花屋に就職したほどの花屋好きだ。
高校の時は成績も優秀で、教師も両親も進学を勧めたが、香奈の決意は固かった。
「子供の時に、近所に花屋さんがあったの。何の変哲もない、特に目立つ訳でもない、普通の "町の花屋さん" よ。」
高校生の時、放課後の教室で彼女は語ってくれた。
「みんな、お祝いの日や記念日なんかに、大切な人へ贈る為に花を買いに来るの。そして、帰り道では花を片手に、時々その花束を覗き込みながら、とても幸せそうな顔をしているの。」
窓の外からは、野球部やサッカー部の練習の声が聞えてくる。
外から聞こえてくるその声は、少しくぐもって聞こえ、遠くからの音に感じる。
この教室とグラウンドの間には見えないガラスがあるように思え、まるで水族館の水槽の中にいるような気がした。
それが、放課後の教室の現実感を希薄にした。
そんな中で香奈の声だけが、クリアに耳に響いてくる。
静かに、心地好く。
「それを見ている私も幸せな気持ちになるの。子供の頃はうまく言葉に出来なかったけど、あんな笑顔に接していられる事って素敵だろうなってずっと思っていたの。」
そう話す香奈の横顔に夕日が射し、光に縁取られて微笑む彼女は、人々に幸福を届けるのに、もっとも適した人に見えた。
神様を信じた事はなかったけど、神様が彼女にこの道を指し示したのなら、彼女に他人へ幸せを届けるという役割を与えた人選には、深く共感せざるを得なかった。
ところが、久し振りに会った彼女の表情は優れなかった。
花屋の仕事は見掛けよりも、ずいぶん大変だと耳にする。
最初はそのせいかと思っていた。
「この街では、形だけ花を贈ればいいんだろうという気持ちが横行しているみたい。大切な人へ気持ちを込めて贈る人なんて、滅多にいない。」
ポツリと彼女が呟いた。
その時の彼女は本当に、寂しそうだった。
本当にそうかな?
香奈が隠れた優しさに気付かないだけって事はない?
そう問い掛けた私の言葉にゆるゆると首を振る。
じゃあ、香奈が想いを込めて、誰かに花を贈ってみたら?
あなたが想いを込めるという事を実践したらどう?
そんな言葉に香奈がゆっくりと顔を上げた。
何を感じてもらえたのかは分からなかったけど、少し元気が戻ったように見えた。
そして、数ヵ月後、彼女は元気になっていた。
ちょっと照れながら、
「あの時言われた言葉がきっかけで、色々変わったの。」と、話してくれた。
「自分が大切な人に花を贈るとしたら、どんな花屋で買いたいか、どんな花を買いたいか、って考えるようにしたの。そして、店長さんにも相談して、少しずつ出来る事をしてみたの。」
確かに、彼女の勤めるショップは以前と少しだけ雰囲気が変わっていた。
誰もが入りやすく間口が開かれ、入口脇に小さな小さな花束が並んでいる。
そして、それ以外に、花束にしていない、丈を短めに切られた花も色別に並んでいた。
「先日、小さい男の子が、"ママに花をプレゼントしたいんだけど、これで買えますか?"って、握りしめてきた500円玉を出してくれて。」
「最近はあちこちの店にミニブーケってあるでしょう?でも、あれはもう出来ているものだけだけど・・・。あんな感じで、でも作ってある物ではなくて、その子の好みとママの雰囲気を聞きながら小さいブーケを作ってみたの。そう、その男の子と私の共同作業よ。」
ふふ、と笑う香奈の顔は本当に楽しそうだ。
「手軽に誰もが買える値段で、でも好みも反映させられるもの、そういうものを私も誰かに贈りたかったの。まだポツポツとだけど、今まで花を贈る事がなかったお客さんも来てくれるようになったわ。」
そう言って、彼女は小さな花束を私に差し出した。
「ありがとう。本当にあなたのお陰よ。」
突然の事に、ちょっと唖然としながら花を受け取った私に、彼女は微笑んだ。
「ね?この位の花なら、受け取る方も、照れないで済むでしょ?でも、あなたの為に、選んで作った花束よ。」
そう穏やかに笑う彼女は、本当に、人々に幸せを届ける適任者に見えた。
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- 2007/06/18(月) 02:35:27|
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晴れた昼下がり、君と散歩に出掛けた。
日差しの柔らかい、春の事だった。
君はいつものように、僕の数歩前を歩く。
元気よく。
少なくとも、僕はそう思っていた。
いつもと変わらない午後の風景。
でも、その時の君の歩みは元気が良かった訳ではなく、怒りの為に勢いが良かったらしい。
しばらくして、振り向いた君の顔、そして放たれた言葉は、驚くべき物だった。
そう、少なくとも僕にとっては。
これまで通じ合っていた思っていた気持ちが、イキナリすれ違う。
君の言葉は、宇宙人の喋る言語の如く、理解が出来ない。
アナタハイツモミガッテネ。
ワタシノキモチナンテ、ドウデモイインデショウ。
そして、僕の喋る言葉も空回りをするように、君には届かない。
僕は、バベルの塔を思い浮かべる。
天にも届く塔を作ろうとした思いあがった人間達に、神様が下した罰の事を。
別々の言語を与え、意思の疎通を出来なくした事を。
僕と君の距離は、1億光年くらい離れてしまった。
それも、突然に。
僕は、君の事が好きだった。
何よりも大事だった。
でも、失ってしまったのは、きっと僕にも原因があるのだと思う。
僕は、1人で今もその原因を探している。
いつか、絶対に探し当てる。
そして、もう1度君に会いに行く。
君がどう思おうと、僕は君が好きだった。
そして、今でも。
きっと、失ったものは取り戻せない。
でも、君の中の何かを欠けさせてしまった理由を知りたい、そして、出来るなら、その穴くらいは埋めさせて欲しい。
それが、今の僕のささやかな願いだ。
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- 2007/06/17(日) 02:37:15|
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僕は、カレーを作るのが好きだ。
材料を炒め、煮込む。
スパイスを魔法使いのごとく使いこなし、やがて辺りはたまらなく食欲をそそる香りに包まれる。
自分で言うのもなんだけど、僕のカレーは凝っている。
しかも、かなり美味い方だ、と思う。
今まで僕のカレーを食べた人がみんな、異口同音「こんなに美味しいカレーは初めてだ。」と口にするので、あながち間違いではないだろう。
僕のカレーへの拘りを、君は笑う。
いつも可笑しそうに見ている。
いくらなんでも、懲りすぎじゃない?
確かに、あなたのカレーは世界一おいしいけれど。
そう言いつつ、君は待ちきれないように、テーブルにスプーンを用意し始める。
僕は、カレーを作るのが大好きだ。
それは、僕のカレーを食べる君の顔が、本当に幸せそうだから。
その時僕は、君の中で魔法使いになる。
君の好きな、カレーを作るのが、僕は大好きなんだ。
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- 2007/06/16(土) 01:11:10|
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有り得ないところから血が出た!
どくどく、という程ではない。
少しずつ。
それでも、僕の体内から赤い液体は流れ出ていっている。
少しずつ少しずつ。
シャワーを浴びようとして気付いたのだ。
へそから血が出ている。
仕方がないので、絆創膏を貼って、とりあえず寝た。
朝起きても、相変わらず少しずつ血は出ている。
例えば、へそをいじったとか、心当たりがあるのならいい。
しかし、前触れも予告もなく、いきなり血が出ていたのだ。
それも少しずつ。
大量に出血しているのなら、会社を休んで病院へ行っただろう。
しかし、痛みもなく、気付くかどうかの微量な量の出血、僕はどうすればいいのか判断をしかねていた。
とりあえず、また絆創膏を貼って会社へ行く。
昼休みにトイレで絆創膏を替える。
少しずつの出血とは言え、貼り替えないと血が滲み出そうだ。
僕は漠然と、この出血量でもいつかは大量出血になるのかと考える。
半日で、○○ccとして、と計算し始めて、途中でバカらしくなってやめる。
どの位の出血かも正確に分からないのに、こんな計算に何の意味がある?
それに、仮に大量出血になるとしても、どうせ人生というものは、緩やかに死への時を刻み続けるようなものではないか。
そこに、出血という要素が加わっても大して変わらないだろう。
幸い、僕の出血には痛みもない。
そう思い、良くも悪くもならないまま、もう2年になる。
少し変わった事と言えば、毎日へそを確認して、死ぬまではちゃんと生きよう、と思うようになった事くらいだ。
世の中に、微量な出血をする人が増えれば、世界はもっと平和になるのかも知れない。
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- 2007/06/15(金) 03:24:59|
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君と公園を散歩していた時だった。
君は、急に立ち止まり、何かを見つめて呟いた。
「Red in Green.
見落としてしまいそうな、小さな1粒だね。」
うん、きれいだね、と僕が頷く。
「ささやかなアタシの勇気みたい。」
自信に満ち溢れた朝も、どうしようもなくダメに思える夜もあるの。
それでも、他に道はないんだって、自分に言い聞かせてる。
君は言葉にしなかったけど、そんな風に考えていたんだと思う。
その頃、君はトラブルに悩み、僕は君を救えない事を悩んでいた。
「神様に何か1つお願いできるなら、もっと勇気をもらいたい。」
君がそう呟くのを、僕は無力感で一杯になりながら聞いていた。
神様、何か1つお願いできるなら、彼女の願いを叶える力をください。
でも、相変わらず僕は無力だった。
それでも、君を愛していた。
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- 2007/06/14(木) 01:38:56|
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その日、僕は小さな自分の部屋で、1人でビールを飲んでいた。
世界は僕とまるで関係ないところで回り続けている気がした。
周りの全てが僕に対してよそよそしく、拒絶しているかのようだった。
海の底にたった1人で沈んでいるみたいな気分で息苦しかったが、こんな時は、1人でじっとしてやり過ごすしかない、そんな気分だった。
少し暑さを感じ、部屋の窓を開けた時だった。
ちりんちりん。
気の早い誰かが、もう風鈴をつけたらしい。
風と一緒に、僕の部屋の中へ音が流れ込んでくる。
ちりん。
僕の中に風が満ち、ゆっくりと世界はもう1度僕に寄り添った。
僕は静かに海面へと浮かび上がる。
僕は、洗ったばかりのTシャツを着て、カメラを片手に出かける事にした。
そして、僕は、君に出会った。
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- 2007/06/13(水) 18:09:56|
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